オリジナル版チューリングテストは性のゲームだった

ホフスタッター&デネット編『マインズ・アイ』(TBSブリタニカ、新装版、1992年)に所収のチューリングの論文「計算機械と知能」を読んだ。

有名な「チューリングテスト」の初出となる論文だ。チューリング自身は「イミテーション・ゲーム」と呼んでいる。

「チューリングテスト」にはいくつものバージョンがある。現在は「チューリングテスト」と言えば、「ある人が、タイピングなどを介して、相手が人間なのかコンピュータなのかわからない状態で会話をする。コンピュータが人間のふりをすることに成功したら(人間が、コンピュータのことを人間だと思い込んでしまったら)、そのコンピュータには知性があるという、一つの基準となるかもしれない」というものだろう。

しかし、この原論文で初めて登場する「イミテーション・ケーム」は、もう少し複雑だ。

「ある人(質問者)が、タイピングなどを介して、一人の女性および一台のコンピュータと会話する。コンピュータは人間の女性であるふりをして回答する。女性は、自分こそが人間の女性であるとわかってもらえるように(質問者がコンピュータに騙されないように)回答する。コンピュータが女のふりをすることに成功したら(質問者が、コンピュータの方が人間の女性であり、人間の女性の方は自分を騙そうとしているコンピュータだと思いこんでしまったら)、そのコンピュータには知性があるという、一つの基準となるかもしれない」。これが、チューリングの原論文の冒頭に描かれている「イミテーション・ゲーム」だ。

なぜ女性? 性別関係ある? コンピュータに女性のふりをさせる、しかも本物の女性と競争させつつ。妙に難易度高くない? 高い知性をもつ人間の男性にだってできないかもしれない。女性のふりをするってのは、たしかに高度な知性が必要だろうけど、知性の問題とずれちゃってない?

チューリングいわく、この「イミテーション・ゲーム」は、もともと、一人の男と一人の女が、自分こそが女であると質問者に思わせるように会話するゲームなのだという。実際に当時、そういう遊びが流行っていたのだろうか? この男の役を単純にコンピュータと置き換えたのがチューリングが最初に描いた「機械は思考するか」のテストだ。妙に複雑な問題設定なのは、この人間三人で行うゲームをもとにしているせいである。

この論文の中でさえ、このテストの変奏が述べられてゆくので、チューリングテストが「女当てゲーム」=「コンピュータに女と競争させつつ女のふりをさせる試み」なのは、この論文の冒頭部のみ。

チューリングがこの論文で目的としているのは、「機械は考えるか?」という問題の建て方は曖昧なので(「機械とは?」「考えるとは?」といった問題へ発散してしまうので)、「機械は人間のふりをできるか?」という問題に置き換えた方がよい。これは「機械は考えるか?」という問題と同一ではないかもしれないが、かなりの部分をカバーするだろう、というものだ。

そして、このように問題を置き換えたことを武器に、「機械は考えない」という主張の様々な根拠をバッサバッサと斬ってゆく、というのがこの論文なのである。

なので、「チューリングテスト」の初出が不気味な性的充填を伴っていたというのは、人工知能研究の立場からはなんら注目点とはならない。私が文学的・哲学的(?)に面白いなと思っただけです。

あと、チューリングがテレパシーの実在を信じてることが伺える点もおもしろい(「テレパシーに対しては、統計的証拠は圧倒的である」p92)。この時代は、大知識人でもテレパシーを信じてた人が多いですね。チューリングだけではない。

まあ、私からは以上です。人工知能の勉強をしようと思って、まずはこの論文を読んでみたんだけど、結局こういう変なところを面白がってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です